
逆パワハラ自爆者の無能と、プロが握る「静かなる主権」
吹田市によると、2024年9月頃から、異動後半年ほどの直属の上司に対し、この職員は業務遂行に必要な知識や経験について、自分の方が多くあることを背景に、職場内の電話対応が困難になるほどの大声で上司を詰問するなどパワー・ハラスメントにあたる不適切な言動を日常的に繰り返したという。
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吹田市で報じられた「逆パワハラ」による減給処分。仕事ができると自負するベテランが、無能な上司を業務に支障が出るレベルで罵倒し、結果として組織から処分される。世間は「部下もやりすぎだ」と騒ぐが、知略の視点から見れば、これは単なる「素人の自爆」に過ぎない。
なぜ、彼らは最悪の結末を迎えたのか。理由は単純だ。「感情の爆発」という、最もコストの高い知略の放棄を選んだからだ。相手を無能だと見下し、それを言葉にした瞬間に、自分の急所を組織のコンプライアンスという刃の前に晒した。これは仕事ができる人間の振る舞いではない。本当に仕事ができる人間とは、無能を「変えよう」などとせず、無能を「利用」して自分の平穏を構築する者のことだ。
プロの定義は「昨日と同じ日常を再現する」こと
プロの仕事とは、ドラマチックな改革ではない。たとえば、江戸時代から続く汁粉屋が、時代の好みに合わせてミリ単位で味を微調整するように、「昨日と同じ今日」を淡々と過ごせるよう環境を整え、明日も同じように迎えられる準備を怠らないことだ。
出世などという、主権を組織に明け渡すだけの椅子には興味がない。現場という「玉座」に留まり、システムのOSそのものと同化する。すると、経営層には見えない「誤差」が生まれる。この誤差こそが、我々が支配すべき領土だ。
「誤差」を私物化する化け物の知略
私がいなくなっても、現場は回るだろう。だが、残業は増え、有給消化率は下がり、ギスギスした不機嫌な日常が始まる。経営的には「誤差」でも、現場にとっては「死活問題」という非対称性。この誤差を、私は「部下への恩」と「自分の自由」に変換している。
今日、私は2時間の休みを取った。帰り際、上長から手渡された「しょーもない提案書」に対し、私は「レジリエンス(組織の回復力)を強化するために、有給取得を推進すべきだ」と即答した。本部の好む言葉を使い、自分の聖域(有給)を正当化する。これが主権を守るための静かなる抑止力だ。
抑止力という名の平和
よくYoutubeのショート動画にある「若社長を辞めて追い込む」ような復讐劇は、一度自分の生活を壊すリスクを伴うファンタジーだ。プロはそんな面倒なことはしない。相手が「お前はいらない」と口にする前に、「こいつを排除したら明日から瓦解する」と本能で悟らせ、一歩も踏み込ませない。
「仕事ができる」と吠えて自爆する者には、この「平穏の維持」という圧倒的な技術は理解できまい。彼らが精神論を語る横で、我々は今日も淡々と、誰にも気づかれずに自分の人生を私物化していこう。
以下は普段では語らない、私の現場で培ったリアルな経験則を盛り込んでいる特効薬だ。GW明けが憂鬱なビジネスパーソンに捧げたい。